多様性について
ここ数週間、人種が雑多なロンドンの町並みを、もしくはバルセロナの町並みを歩きながら、ここまでの安堵感を得るのはどうしてだろうかと、僕の大好きな二階建ての赤いバスを待ちながら考えた。そして、足りない頭であれやこれやと考えながら、辿り着いた最後の答えは、その社会が持つ、多様性だろうと思った。(ありふれた答えの一つかもしれないが。)
何か、日本にいて居心地が悪いと感じる一つの大きな要因は、世界から孤立しているように思えてしまうこと。世界が共有しようとしている問題意識に対して、あまりにもドメスティックな立ち位置からしか物事が考えられていないように思えてしまうこと。そして、問題の一端を本当の意味で引き受けられていないだろうということ。(国民が問題を認識し、金銭面でのみコミットしようと言う意思があるのであれば、まだ良いのかもしれないが。)
多様性があるということ、多様な民族を引き受けるということは、その民族が持つ問題をも同時に引き受けることに等しいと思える。それは、時に自国内でテロを引き起こす一つの要因になってしまうかもしれないけれど、現代社会において、それは逃れることの出来ない、先進国の一つの引き受けるもののようにも思えてしまう。(テロを肯定しているという意味でもテロが起こってしかるべきだという意味ではなく。)
僕はロンドンの大学院で学んでいたとき、仲の良いクラスメートの一人はクルド人のラマンであった。少数民族として迫害され、未だ国を持てない民族。幾十もの困難と、それこそ文字通りの生きるか死ぬかの経験を経て、イギリスで難民として認められ、大学院でジャーナリズムを学んでいた。今回の渡航では彼のアパートにお世話になった。国からの補助とアルバイトで生計を立て、イギリス国籍を取得出来る日を待ち望んでいる。
バルセロナで参加したフォトフェスティバルではウクライナから避難してきた若い写真家にあった。ロシアとの紛争では既に数万人の若者が兵士として命を落としている。徴兵を逃れたい若者で国外に脱出を計る人々は少なくない。
町中ですれ違う、白黒黄色、様々な人種。男性同士で手をつないで歩いていても違和感の無い光景。夜遅くまで営業している勤勉なケバブ屋。パキスタン人の携帯ショップ。
ここにいると何らかの形で、他国で起きている現実にぶつかり、問題を語り、その人の存在を認識する。普段の生活では、どこまで混じり合ってはいるかは分からない。しかし、ロンドンで、パリでテロがあった時に示された連帯は、自分とは違う他者の存在を認めている、もしくは認識出来ているというベースの上に成り立っているように思う。
それが日本の場合、違いを持つ他者というのが非常に見えにくい。誰が自分と違う人達なのかが分かりにくい。それは人種だけの問題ではなく。
だから、色々と危惧してまうことの一つは、日本でもし仮にイギリスやパリと同様のテロが起きた時に、他とのつながりを持たない超個人的な感情的な反応以外に反応の仕方しめせない人たちが、どんな反応をするのかということ。個人間で「他」とつながりを持たない場合、メディアを通じて容易に誘導されてしまう。自分が頼るべき、個人的な理由が存在しないから、何か最もらしいことを言う誰かの言葉に感情的に引きずられていく。それは松本人志かもしれないし、ビートたけしかもしれない。
多様性の欠乏した社会で、「他」とどれだけ関係性を保つことが出来るのだろうか。所謂、日本人が日本人の中で起きたことに対しては、対処出来るかもしれない。しかし、例えば、北朝鮮、中国、韓国との問題で、国家の思惑を超えた個人レベルでどこまで、何が出来るのか。
ロンドンやバルセロナで感じる安堵感は、何かが起きた時に、他者とつながり合えるであろう多様性の元に社会がなりたっていると感じられるからかもしれない。
まとまりがなく、飛躍の多い文章であることは分かりつつ、最後に伝えたいのは、6月20日、世界難民の日にオランダ人写真家ヘンク・ヴィルスフートを招き、トークイベントを行います。
日本で難民問題が地に足のついた形で語られない一つの理由は、その存在が見えないようにされているから。そう思えてしかたがありません。
難民について考えるきっかけに是非、足をお運びください。
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何か、日本にいて居心地が悪いと感じる一つの大きな要因は、世界から孤立しているように思えてしまうこと。世界が共有しようとしている問題意識に対して、あまりにもドメスティックな立ち位置からしか物事が考えられていないように思えてしまうこと。そして、問題の一端を本当の意味で引き受けられていないだろうということ。(国民が問題を認識し、金銭面でのみコミットしようと言う意思があるのであれば、まだ良いのかもしれないが。)
多様性があるということ、多様な民族を引き受けるということは、その民族が持つ問題をも同時に引き受けることに等しいと思える。それは、時に自国内でテロを引き起こす一つの要因になってしまうかもしれないけれど、現代社会において、それは逃れることの出来ない、先進国の一つの引き受けるもののようにも思えてしまう。(テロを肯定しているという意味でもテロが起こってしかるべきだという意味ではなく。)
僕はロンドンの大学院で学んでいたとき、仲の良いクラスメートの一人はクルド人のラマンであった。少数民族として迫害され、未だ国を持てない民族。幾十もの困難と、それこそ文字通りの生きるか死ぬかの経験を経て、イギリスで難民として認められ、大学院でジャーナリズムを学んでいた。今回の渡航では彼のアパートにお世話になった。国からの補助とアルバイトで生計を立て、イギリス国籍を取得出来る日を待ち望んでいる。
バルセロナで参加したフォトフェスティバルではウクライナから避難してきた若い写真家にあった。ロシアとの紛争では既に数万人の若者が兵士として命を落としている。徴兵を逃れたい若者で国外に脱出を計る人々は少なくない。
町中ですれ違う、白黒黄色、様々な人種。男性同士で手をつないで歩いていても違和感の無い光景。夜遅くまで営業している勤勉なケバブ屋。パキスタン人の携帯ショップ。
ここにいると何らかの形で、他国で起きている現実にぶつかり、問題を語り、その人の存在を認識する。普段の生活では、どこまで混じり合ってはいるかは分からない。しかし、ロンドンで、パリでテロがあった時に示された連帯は、自分とは違う他者の存在を認めている、もしくは認識出来ているというベースの上に成り立っているように思う。
それが日本の場合、違いを持つ他者というのが非常に見えにくい。誰が自分と違う人達なのかが分かりにくい。それは人種だけの問題ではなく。
だから、色々と危惧してまうことの一つは、日本でもし仮にイギリスやパリと同様のテロが起きた時に、他とのつながりを持たない超個人的な感情的な反応以外に反応の仕方しめせない人たちが、どんな反応をするのかということ。個人間で「他」とつながりを持たない場合、メディアを通じて容易に誘導されてしまう。自分が頼るべき、個人的な理由が存在しないから、何か最もらしいことを言う誰かの言葉に感情的に引きずられていく。それは松本人志かもしれないし、ビートたけしかもしれない。
多様性の欠乏した社会で、「他」とどれだけ関係性を保つことが出来るのだろうか。所謂、日本人が日本人の中で起きたことに対しては、対処出来るかもしれない。しかし、例えば、北朝鮮、中国、韓国との問題で、国家の思惑を超えた個人レベルでどこまで、何が出来るのか。
ロンドンやバルセロナで感じる安堵感は、何かが起きた時に、他者とつながり合えるであろう多様性の元に社会がなりたっていると感じられるからかもしれない。
まとまりがなく、飛躍の多い文章であることは分かりつつ、最後に伝えたいのは、6月20日、世界難民の日にオランダ人写真家ヘンク・ヴィルスフートを招き、トークイベントを行います。
日本で難民問題が地に足のついた形で語られない一つの理由は、その存在が見えないようにされているから。そう思えてしかたがありません。
難民について考えるきっかけに是非、足をお運びください。
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【日時】2017年6月20日 19:00-21:00
【入場料】無料/予約不要
【問い合わせ】電話 08031255346(小原) メール kazuma924(at)gmail.com
6月20日、「世界難民の日」に遠い存在、難民の問題について考える。
ドーバー海峡をイギリスと最短距離で結ぶ都市、フランス、カレー。歴史的に英仏の貿易航路として重要な役割を担ってきたカレーの森林地帯は、現在、貨物船に紛れてイギリスへの渡航を目指す、多くの難民/違法移民の係留地となっている。
2014年以降、中東、アフリカからの多くの移住民はその違法コミュニティーを肥大化された。その場所はいつからかThe Jungleと地元民から呼ばれようになる。そして、人口が増大したThe Jungleは食品店や食堂、理髪店等からなるコミュニティーへと徐々に姿を変容させていく。
2005年から同地域で撮影を行っていたオランダ人写真家、ヘンク・ヴィルスフートは2015年以降のThe Jungleを2年間に渡り定点観測的に記録し、2017年、写真集『Ville de Calais(カレーの町)』として上梓した。
彼の記録は難民たちの定住から、コミニュニーティーの発展、そして、イギリス/フランス政府の介入、居住地域の解体、難民たちの移送という難民を巡る一つの「町」の様相を伝えていく。彼のプロジェクトを成す写真の数々にはそこで行われた難民/移民と警察官との暴動の様子、また建物が無惨に取り壊されていくような、ドラマチックな写真は存在しない。建築写真のように美しくその外観を客観的に捉えた写真たちは、淡々とその町の変容を伝えていく。その様子は、政府がある種の冷淡さ、機械的にある場所の痕跡を消し去っていく無情さを伝えるかのようだ。一方、定点観測とともに添えられる数多くの住民のポートレートとインタビュー、ユーモアに溢れる彼らの生活様式を伝えるキャプションが、その町の生活に立体感を与え、冷酷に消し去られていく風景の重みを見るものに伝えていく。
僕はヴィルスフートが記録した失われた「町」の様子を見て、遠く1万キロ離れたアフリカ、中東難民の生活に想いを馳せる。そして、同時に日本に居住する難民の生活に想いを巡らす。年間100人規模の難民しか受け入れていない私たちの日本社会には、無いものとされているかのように存在の見えない難民の人々。
6月20日、「世界難民の日」に多くの日本人から遠い存在、難民の問題について考える。
モデレーター 小原一真(写真家)
【ヘンク・ヴィルスフート・経歴】
ヘンク・ヴィルスフート(Henk Wildschut)。1967年オランダ・ハルデルウェイク生まれ。ハーグ王立芸術アカデミーで学ぶ。アムステルダム、シドニー、上海、北京、ロンドン、プラハ、ローマ、ハーグ他、世界各地で展覧会を開催。多くの長期的な自主プロジェクトに加えて、多数のオランダ語雑誌やデザイン・通信事業の代理店向けの撮影も行う。港湾労働者、非合法移民、ランナーなどを対象としたシリーズ作品を手がけるとともに、ヘルト・ウィルダースやペーター・バルケネンデなど、多くの著名なオランダ政治家の肖像を撮影してきた。 ヴィルスフートの作品の特徴は、撮影対象となる人々や場所に対する客観的で、しばしば距離を保った視点にある。こうした視点は、彼の写真に均衡と記念碑的な性質を付与し、撮影対象についての更なる思考へと観る者を駆り立てる。同僚の写真家レイモンド・ヴァウダと共に、ヴィルスフートは2冊の写真集を出版して高評価を受けた。2003年刊行の『サンドリアン・ラパス』(Sandrien LaPaz)で、ヴァウダとヴィルスフートは、オランダ当局によってアムステルダム港に1年半以上留置されていた化学製品タンカー「サンドリアン・ラ・パス」のインド人乗組員を撮影した。また、2006年に出版されたプロジェクト『アダム・ドック』(A'DAM DOC.k)では、アムステルダム市公文書館の委嘱を受けて、ヴァウダとヴィルスフートはアムステルダムの港湾地区を写真で記録した。彼らの撮影は海岸沿いを進んでアムステルダム西部の造船工場地区に至る北海運河のルートを辿った。 ヴィルスフートがシェルター・シリーズを開始したのは2005年である。2010年、同シリーズは書籍『シェルター』(Shelter)と映像作品「4分57秒の帰郷」('4.57 Minutes Back Home')に結実した。2011年、『シェルター』は2009/2010年のオランダ最優秀写真集として、キース・シェーラー賞を受賞した。同年、ヴィルスフートは『シェルター』によって、権威あるダッチ・ドック賞のドキュメンタリー・プロジェクト部門でも最優秀賞を受賞している。また、ヴィルスフートはアムステルダム国立美術館の制作依頼で、食糧をテーマとした仕事も手がけてきた。2年の制作期間を経て、その成果は書籍『フード』(Food)と国立美術館での展覧会というかたちで発表された。そして現在、ヴィルスフートはかつてのテーマ、すなわち移民と難民という主題に立ち戻っている。昨年、彼はフランス北部カレーで難民キャンプの様子を追い続けた。この仕事は2016年4月、アムステルダムのFOAM写真美術館で開催された大規模展「ジャングルから都市へ」('From Jungle to City')として実を結んだ。さらに2017年、カレーでのプロジェクトは写真集『カレーの町』(Ville de Calais)として出版されることになった。 http://www.henkwildschut.com/
【小原一真(おばらかずま)】 写真家。1985年、岩手県に生まれる。社会の見えざる人々に焦点を当て、核に関する長期プロジェクトに取り組む。主に欧米メディア、写真フェスティバルでの発表を行う。世界報道写真賞受賞、書籍は米TIME誌が選出する優れた写真集に選ばれる等、国際的に高い評価を受ける。 http://kazumaobara.com/
主催 Photobook Osaka / 難民表象をめぐる研究会 協力 立命館大学政策科学部牧田義也ゼミ
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