世界報道写真展について、少し。
4月、アムステルダム。World Press Photo Award Daysと銘打たれたイベントのメイン会場には、80名程度の人が着席して僕のプレゼンが始まるのを待っていた。簡単な自己紹介をして、自分の過去の仕事を20分程度プレゼンした。何の準備もせずにいきなり英語で話をはじめた前々回の痛切な反省をもとに(やはり日本語のようにはいかなかった)、今回は全て伝えたいことを文章にし、それを読み上げる形式をとったのだが、感情が言葉にのらず、言葉が空虚に宙を舞っているように思えた。釈然としない気持ちだったが、まあ、明日も幸いに別の場でプレゼンが出来るからと、気を取り直した。
プレゼンが終わると友人のヤンが笑顔で迎えてくれた。「最低のプレゼンになっちゃったよ」と僕が苦笑いで話すと、「良かったよ」と笑顔でハグしてくれた。その後、階下にあるバーでビールを飲みながら、スイスで世界報道写真展を開催するメイン企業を運営する彼が今年の世界報道写真展の構想を語ってくれた。「今年は俺もプレゼンをするよ」と。そして、今回はスイスから2名の写真家が選出されたので彼らを招き、プレゼンを行うということ。期間中のワークショップについて、展示に合わせた独自のパンフレットについて、今年の選出された写真について。またWorld Press Photo Award Daysで行われている他の写真家のプレゼン内容について、様々なことを議論した。世界報道写真展にあわせて毎年彼らが発行するBest Picturesという雑誌には、受賞者の写真の他にスイスのシリア難民に関するドキュメンタリーが掲載されるという。
その後、少しほろ酔いの赤ら顔で、バー横の広いスペースに設置されている本屋さんスペースでサイニングに臨んだ。様々な写真家に出会い、それぞれの仕事について話し合い、とてもエネルギーをもらう良い機会となった。
夕方、翌日に行われるパネルディスカッションのメンバーが集まり、打ち合せを行った。タイトルは「The new ways of Storytelling: What are the inovative aproaches?」。メディアが多様化する中で、写真家がどのような方法でストーリーを伝えていくのか、僕にはいささか荷の重いテーマのように思えたが、今回選出された僕の仕事が唯一と言ってもいいかもしれないコンセプチュアルで抽象的なアートワークだったため、声をかけてもらった。パネラーには、サンデータイムスの元ピクチャーエディターで僕が昨年大学院で教わったことのあるMonica Allende、マグナムの写真家Peter van Agtmael 、NewYorkTimesからJosh Haner、フリーランランサーとしてDaniella Zalcmanと僕が参加した。それぞれ、異なるアプローチを行う写真家たちなので、議論を行うより、それぞれのプレゼンを5分程度行い、それに対し、Monicaがコメントを行うというスタイルになった。Peterは、自身のプレゼントというより、より建設的な場となる為の世界報道写真コンテストの在り方の提唱、そしてNewYorkTimesのJoshはドローンとIT技術、衛生ネットワーク等を用いたウェブサイトでの新しいビュジュアルの提示の仕方、Daniellaはインスタグラムを用いたビュジュアルでどのような表現を行っていくのかと言うプレゼン、僕はファウンドフォトを用いた表現、そして、古いフィルムを用いた抽象的なイメージの提示の仕方について話をした。テクノロジーの発展とともにフォトジャーナリズムの現場に置いても多くの写真家が新しい表現方法を模索する中で、それぞれ面白いプレゼンになったように思う。終了後、沢山の人が話しかけてくれ、方法論について話をした。
しかしながら、授賞式は、何とも複雑な気持になった。欧米的と言っていいのか僕には分からないが、クラッシック音楽の生の演奏とともに、選出された写真が大画面で流され、会場は大きな拍手の音で満たされていく。その写真の多くは血のながれる紛争地の写真、そしてシリア難民のストーリーである。それらの少なからぬ引き金となっているヨーロッパの地で、凄惨な写真を見ながら、拍手を送るという会場の雰囲気になにか帝国主義的なイデオロギーを感じ、少し寒気がした。まあ、そんなものなのかもなとも思った。オランダから国賓も出席するその会場には、明らかに僕ら泥臭い写真家とは存在感の違う、その関係者やメディアを運営する人々が多く存在する。あるいは、アジア系の人間の圧倒的な少なさに少し気圧されて、色々と考えてしまっただけかもしれないが。VIP席が上にありますよと案内されたが、立食パーティーが始まってすぐに会場を後にした。
9月、東京都写真美術館で行われた世界報道写真展のオープニングに参加した。会場は多くの写真関係者で賑わっていたのかどうか正直あまり知らないのだが、僕も受賞者として参加させて頂いた。そして、終了後、何とも残念な気持になった。本当に落ち込んだことを覚えている。その理由の一つは、おそらく日本の世界報道写真展は、写真を見せる場所以上のものではないだろうことが良くわかったから。ガラパゴス的に発展しない日本のフォトジャーナリズムの現状を考えれば、世界報道写真展が日本の人々に与えるであろうインパクトは想像に難くない。とても大事な展示だと思う。
しかし、世界報道写真展とは、その業界に属す人間にとってのある種、議論の場となってしかるべきものであることは明白であり、その雰囲気を微塵も感じることの出来なかった僕は、愕然とし、酷く落胆した。世界報道写真展がリニューアルした東京都写真美術館に戻ってきました!というのは、まあ良いけれど、正直そんなことはどうでも良い。世界報道写真展はパッケージ化され、どこの場所でも展示出来るように出来ている。もし、東京都写真美術館でやる意義があるとするのであれば、間違いなくそれは、フォトジャーナリズムというコンテクストから、世界報道写真展を批判的に読み解き、その発展の為の議論の場とするに相応しい点にあると思う。
また朝日新聞がどれほどの熱をもって、このイベントを行っているのか分からないが、フォトジャーナリズムの発展という立場から、どれだけ熱をもっているのか、僕にはよく分からなかった。主催者の熱をヤンから熱く感じていた僕は、それもまた落胆した要因かもしれない。とにかく僕は、日本のその会場でフォトジャーナリズムについて議論も出来ず、日本では見る機会の少ない世界の事実に目を向けようというようなことで終わってしまっている写真展が残念でならなかった。世界のメディアの競争から孤立している日本では、目にしないかもしれないが、選ばれている写真の中には所謂、その年のアイコニックな写真も多く存在する。少なからず新聞やウェブ、雑誌にそれなりに目を通している人であれば、見たことのある写真だって沢山有る。日本では世界報道写真展ぐらいしかこれらの写真を見る機会が無いかもしれないという事実こそむしろ問題のように思えてしまう。
繰り返しになるが、世界報道写真展とは毎年、大きな議論を巻き起こすイベントである。その選出に関わる過程からはじまり、選出された写真等について批評家が、様々な議論を行う。そこに参加する写真家も同じように議論を行う。フォトジャーナリズムの問題と可能性を考える上で重要なイベントの一つであることに疑いはない。
感情的に書いてしまったが、世界報道写真展に関する日本語のブログを読んでいるとあまりにも、是非見るべき!的なものしかなかったので、ちょっと別の立場から書いてみた。
プレゼンが終わると友人のヤンが笑顔で迎えてくれた。「最低のプレゼンになっちゃったよ」と僕が苦笑いで話すと、「良かったよ」と笑顔でハグしてくれた。その後、階下にあるバーでビールを飲みながら、スイスで世界報道写真展を開催するメイン企業を運営する彼が今年の世界報道写真展の構想を語ってくれた。「今年は俺もプレゼンをするよ」と。そして、今回はスイスから2名の写真家が選出されたので彼らを招き、プレゼンを行うということ。期間中のワークショップについて、展示に合わせた独自のパンフレットについて、今年の選出された写真について。またWorld Press Photo Award Daysで行われている他の写真家のプレゼン内容について、様々なことを議論した。世界報道写真展にあわせて毎年彼らが発行するBest Picturesという雑誌には、受賞者の写真の他にスイスのシリア難民に関するドキュメンタリーが掲載されるという。
その後、少しほろ酔いの赤ら顔で、バー横の広いスペースに設置されている本屋さんスペースでサイニングに臨んだ。様々な写真家に出会い、それぞれの仕事について話し合い、とてもエネルギーをもらう良い機会となった。
夕方、翌日に行われるパネルディスカッションのメンバーが集まり、打ち合せを行った。タイトルは「The new ways of Storytelling: What are the inovative aproaches?」。メディアが多様化する中で、写真家がどのような方法でストーリーを伝えていくのか、僕にはいささか荷の重いテーマのように思えたが、今回選出された僕の仕事が唯一と言ってもいいかもしれないコンセプチュアルで抽象的なアートワークだったため、声をかけてもらった。パネラーには、サンデータイムスの元ピクチャーエディターで僕が昨年大学院で教わったことのあるMonica Allende、マグナムの写真家Peter van Agtmael 、NewYorkTimesからJosh Haner、フリーランランサーとしてDaniella Zalcmanと僕が参加した。それぞれ、異なるアプローチを行う写真家たちなので、議論を行うより、それぞれのプレゼンを5分程度行い、それに対し、Monicaがコメントを行うというスタイルになった。Peterは、自身のプレゼントというより、より建設的な場となる為の世界報道写真コンテストの在り方の提唱、そしてNewYorkTimesのJoshはドローンとIT技術、衛生ネットワーク等を用いたウェブサイトでの新しいビュジュアルの提示の仕方、Daniellaはインスタグラムを用いたビュジュアルでどのような表現を行っていくのかと言うプレゼン、僕はファウンドフォトを用いた表現、そして、古いフィルムを用いた抽象的なイメージの提示の仕方について話をした。テクノロジーの発展とともにフォトジャーナリズムの現場に置いても多くの写真家が新しい表現方法を模索する中で、それぞれ面白いプレゼンになったように思う。終了後、沢山の人が話しかけてくれ、方法論について話をした。
しかしながら、授賞式は、何とも複雑な気持になった。欧米的と言っていいのか僕には分からないが、クラッシック音楽の生の演奏とともに、選出された写真が大画面で流され、会場は大きな拍手の音で満たされていく。その写真の多くは血のながれる紛争地の写真、そしてシリア難民のストーリーである。それらの少なからぬ引き金となっているヨーロッパの地で、凄惨な写真を見ながら、拍手を送るという会場の雰囲気になにか帝国主義的なイデオロギーを感じ、少し寒気がした。まあ、そんなものなのかもなとも思った。オランダから国賓も出席するその会場には、明らかに僕ら泥臭い写真家とは存在感の違う、その関係者やメディアを運営する人々が多く存在する。あるいは、アジア系の人間の圧倒的な少なさに少し気圧されて、色々と考えてしまっただけかもしれないが。VIP席が上にありますよと案内されたが、立食パーティーが始まってすぐに会場を後にした。
9月、東京都写真美術館で行われた世界報道写真展のオープニングに参加した。会場は多くの写真関係者で賑わっていたのかどうか正直あまり知らないのだが、僕も受賞者として参加させて頂いた。そして、終了後、何とも残念な気持になった。本当に落ち込んだことを覚えている。その理由の一つは、おそらく日本の世界報道写真展は、写真を見せる場所以上のものではないだろうことが良くわかったから。ガラパゴス的に発展しない日本のフォトジャーナリズムの現状を考えれば、世界報道写真展が日本の人々に与えるであろうインパクトは想像に難くない。とても大事な展示だと思う。
しかし、世界報道写真展とは、その業界に属す人間にとってのある種、議論の場となってしかるべきものであることは明白であり、その雰囲気を微塵も感じることの出来なかった僕は、愕然とし、酷く落胆した。世界報道写真展がリニューアルした東京都写真美術館に戻ってきました!というのは、まあ良いけれど、正直そんなことはどうでも良い。世界報道写真展はパッケージ化され、どこの場所でも展示出来るように出来ている。もし、東京都写真美術館でやる意義があるとするのであれば、間違いなくそれは、フォトジャーナリズムというコンテクストから、世界報道写真展を批判的に読み解き、その発展の為の議論の場とするに相応しい点にあると思う。
また朝日新聞がどれほどの熱をもって、このイベントを行っているのか分からないが、フォトジャーナリズムの発展という立場から、どれだけ熱をもっているのか、僕にはよく分からなかった。主催者の熱をヤンから熱く感じていた僕は、それもまた落胆した要因かもしれない。とにかく僕は、日本のその会場でフォトジャーナリズムについて議論も出来ず、日本では見る機会の少ない世界の事実に目を向けようというようなことで終わってしまっている写真展が残念でならなかった。世界のメディアの競争から孤立している日本では、目にしないかもしれないが、選ばれている写真の中には所謂、その年のアイコニックな写真も多く存在する。少なからず新聞やウェブ、雑誌にそれなりに目を通している人であれば、見たことのある写真だって沢山有る。日本では世界報道写真展ぐらいしかこれらの写真を見る機会が無いかもしれないという事実こそむしろ問題のように思えてしまう。
繰り返しになるが、世界報道写真展とは毎年、大きな議論を巻き起こすイベントである。その選出に関わる過程からはじまり、選出された写真等について批評家が、様々な議論を行う。そこに参加する写真家も同じように議論を行う。フォトジャーナリズムの問題と可能性を考える上で重要なイベントの一つであることに疑いはない。
感情的に書いてしまったが、世界報道写真展に関する日本語のブログを読んでいるとあまりにも、是非見るべき!的なものしかなかったので、ちょっと別の立場から書いてみた。
コメント
コメントを投稿